ふと思ったんですが、ボケとツッコミのどちらの方が漫才の面白さを引き立てているのか気になりました。もちろんボケとツッコミがあっての漫才なので両方大事であることは重々承知しています。
個人的な意見を述べると、ボケは多少雑でも綺麗なツッコミがあれば笑いに昇華できると考えているのでツッコミの方が重要なのではないかと考えています。
これは割と意見が分かれる議題だと思うのでみなさんの意見が聞きたいです!
ふと思ったんですが、ボケとツッコミのどちらの方が漫才の面白さを引き立てているのか気になりました。もちろんボケとツッコミがあっての漫才なので両方大事であることは重々承知しています。
個人的な意見を述べると、ボケは多少雑でも綺麗なツッコミがあれば笑いに昇華できると考えているのでツッコミの方が重要なのではないかと考えています。
これは割と意見が分かれる議題だと思うのでみなさんの意見が聞きたいです!
ツッコミの役割というのは物事の味方を提供しているんだと思う。だから世界中のあらゆるものをボケとして捉えることができるし、そういう意味でツッコミがすべてなんじゃないか。
一流のツッコミは、三笘の1ミリを超えるアシストみがある
漫才を見ている時に、ボケがきたら、みなさん気づくと思います。そして、これから、ツッコミが入るんやろうなぁって心の準備ができているとしても、面白いツッコミは予想の斜め上にくるからこそ、コンビが面白い。
ようは、時系列的には確かにボケがないとツッコミが生まれないが、ツッコミが漫才を昇華させているので、強いて言えばツッコミの方が面白さを引き立たせているかと。🙇♂️
ボケがないとツッコミも生まれない、ボケが面白ければツッコミが弱くても成り立つ。
ツッコミは間、音量、音程、言葉を適切に選ぶ"努力の芸"で、ボケはキャラ、メンタル、ワードセンスを選ぶ"個性の芸"だと思います。
ツッコミにはある程度種類が定まりますがボケはグループ毎に形があり、ボケこそがそのグループの特色を表しているとすると、その漫才グループの面白さを支えているのはボケではないかと思われます。
たまにある互いのグループの台本を交換して披露する、といった場合で漫才グループごとに全く違う漫才になるのも、ボケの力が大いに関わってると思います。